祈りについて

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レジュメ作成者:スピリチュアリズム普及会 若山明子氏

黒字はスピリチュアリズム普及会、若山明子氏作成のレジュメ

  青字は読書会中に若山氏が語られた内容

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霊的真理の実践とは

・霊的自己コントロール=霊主肉従の努力

辛い日常を乗り越えて克己の努力をしなければならない。


・利他愛の実践

利他愛の実践なくして霊的成長はできない


・苦しみへの正しい対処(甘受)

苦しみには幾つかの種類がある(前世のカルマを清算するための苦しみ、霊的成長を促すための試練としての苦しみ)

苦しみを通して前世のカルマを清算し、霊的成長のプロセスがリセットされることで再び霊的成長の道を歩むことができるようになる。また、カルマとは別に、地上人に苦難の体験をもたらして鍛え霊的成長を促すことで、スピリチュアリズム運動推進のための「霊界の道具」としての資質を高めるための苦しみもある。

苦しみを耐えることで霊的に成長ができる。


・祈り

上記の実践を強力にサポートするもののひとつが「祈り」である。そういう意味で祈りも大切な霊的実践の一つである。

スピリチュアリズムにおける「祈り」は従来の宗教におけるものとは少し違う。

地上の大半の宗教では祈りが義務になっていることが多い。神の概念が間違っている従来の宗教において正しい祈りは存在しない。

また、内容が願い事中心で利己的な祈りも、間違った祈りである。そのような祈りの場合、叶えられなかった時には「神など存在しない」と考えてしまうこともある。利己的な願いは全て間違いである。



祈りの霊的意義と本質――祈りは大いなる霊的活動

・神に近づこうとする魂の願望

人間は神の分霊を与えられているので、祈りとは霊の親である神に近づきたいという願望から湧き出る霊的本能である。


【参考】

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)P.140/後ろから6〜後ろから5

祈りの本質=神に近づきたいという魂の願望


・霊的自立を促すための不可欠な行為

 人間は肉体の親から生まれる。子どものうちはまだ神を理解することができないので、自分を守ってくれる絶対的な存在は親である。子どものうちは肉体の親を通して間接的に神とつながるようになっている。そういう意味において肉体の親は“神の代理者“として子どもを育てる義務と責任が与えられている。

やがて成長し、成人すると肉体の親から自立し、独立していくのが正しいあり方である。同様に、心の拠り所を肉の親から神へと移行させ、神と直接一対一の交わりを求めるようになるのが「霊的自立」である。そのために必要不可欠なものが祈りである。祈りを通して神との交わりを持ち、関係を深めることができる。


・人間の霊性の表現であり、理想に向けての魂の決意表明

祈りの内容を見れば霊的成長度がわかる。祈りは魂の成長レベルの指標である。

祈りはより高い世界を求める魂の叫びである。


・背後の霊との結びつきを深める強力な手段

地上人の背後にはたくさんの霊が援助しようと待機している。利他愛に励もうとするときには大いに働きかけてくれる。その援助を多く受けやすい人、霊側から近づきやすい人は日頃から祈りを実践し、霊界と交わりを持っている人である。

祈りの時間を特別に設けていない人であっても、常に「人の役に立ちたい」と願っている人はその想い自体が“魂の叫び=祈り“となって、援助を受けやすい状態になっている。

摂理に一致した祈りによって霊界の霊たちの応援を引き出すことになり、強大な力が発揮されるようになる。


・スピリチュアル・レベルでの霊的修行

滝行や断食行、水行などの肉体行、ヨーガの修行などはサイキック・レベルの修行であり、それによって「サイキック能力」が発現することもある。しかし、それはあくまでもサイキック・レベルの能力であり、霊性とは何の関係もない。低俗な人間はそのサイキック能力に魅了され、やがて低級霊の餌食となってしまうことが多い。

一方、純粋な祈り・摂理に一致した祈りはスピリチュアル・レベルの修行であり、霊界との結びつきを深め、霊界の応援が引き出されるようになる。霊界の応援を受けて働くということは、スピリチュアル能力を持っているということである。

スピリチュアル・レベルの修行である祈りは神聖な霊的行為であり、利己性や欲望と闘う、克己の努力を要する大変厳しい修行である。いつも心を正しておくことが求められている。


・利他愛実践の意欲を高める霊的手段

正しい祈り――利他的で霊的成長に結びつく。

間違った祈り――利己的で霊的成長に結びつかない。それどころか魂の成長にとってマイナスになる。



真の祈りとは、利己的な願い事ではなく、霊的エネルギーを取り入れ霊的意識を高め、利他愛実践の意欲を高める霊的手段である。


【参考】

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会) P.133/L4〜L5


祈り=利他的行為のために、霊界の援助を得る手段


・利他愛実践内容――“人類愛”には必ず真実の祈りがともなう

「全ての人が幸せになりますように」「人類のために自分を役立てたい」といった全人類の幸せを求める強い願いは、祈りの時間を特別に設けていなくても既に“祈り”である。全人類愛・霊的同胞愛には必ずそうした真実の祈りがともなうものである。

<摂理の神>

祈りをすると神が何かをしてくれるわけではない。祈りは摂理を通して、摂理にそって叶えられるものである。

従来の宗教では、神と人間は直接的に関わることができると考えられてきた。そのため、必死に願い助けを乞うても叶えられなかったとき、「神など存在しない」と思ってしまうこともあった。

しかし、シルバーバーチが明らかにした神と人間の関係は、神は摂理を通して人間と対峙しているというものである。神が直接人間に働きかけることは一切ない。神は摂理を介して人間と関わっている。

ただし、祈りの対象はあくまでも神である。人間の霊的成長を願って摂理を作り、どれだけ過ちを犯して横道にそれようとも、必ず正しい道に戻り霊的成長ができるようなシステムをつくってくださったのは神である。故にその愛に感謝し、神に祈りを捧げるのである。

※参考:スピリチュアリズム普及会第1ホームページ 「スピリチュアリズムとは スピリチュアリズムの思想V 1 神について (7)スピリチュアリズムが明らかにした神観のポイント5)神は私たち人間を愛してくれている。私たち人間と万物は、神によって愛されている」



・どこまでも霊的成長のための一手段(目的ではない)

祈りは霊的人生の強力な補助手段ではあるが、祈ることが霊的人生の目的ではない。霊主肉従の実践と、利他愛の実践による霊的成長が目的であって、祈りはその手段の一つに過ぎないということである。

祈りを多くしたからといって、実践が伴わなければ霊的成長はなされない。地上では肉体を用いた行為を通してしか霊的成長ができないようになっている。ただ神に向かって祈るだけでは何の価値もない。故に多くの宗教で行われている祈りの大半は間違っている。

【参考】

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会) P.134/後ろから7〜後ろから6

霊的成長が目的であって、祈ること自体が目的ではない。またたとえ祈りをしなくても信仰心が少ないという訳ではない。人のために奉仕をしている人が真に信仰深い人である。

奉仕のための力とすることが祈りの目的であり、祈りは実践のための手段である。



祈りの霊的効用――霊的人生に不可欠な祈りの実践

・霊的エネルギーが取り入れられ、霊的意識が高まる

 霊的エネルギーが無ければ利他愛の実践ができない。

祈りは霊的エネルギーを補充するための重要な霊的行為である。


【参考】

*『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会) P.134/後ろから5〜後ろから2

大霊と大霊の子である同胞のために一身を捧げたいと願うことによって霊的意識が高められ、利他愛実践のためのエネルギーとなる。


*『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会) P.135/L2〜L11

利他愛の実践をするとき、神は私たちを通して働いている。それによって霊的成長がなされる。


・霊的人生の実践が強化される

「自分を奉仕のために使って欲しい」と衷心から願う時、霊界からの援助が得られ霊的エネルギーが与えられる。霊的エネルギーが与えられて霊主肉従の状態になれば、霊的視野を取り戻し、苦しみを甘受することができるようになる。すると地上的な出来事に翻弄されることがなくなり、霊界への信頼による不動心、霊的楽天性を持つことができるようになる。

こうした良いサイクルの中で益々霊的エネルギーが与えられ、霊的人生の実践が強化されていく。


・スピリチュアル能力が引き出される

スピリチュアル能力=霊界の援助を引き出す能力

世の中の大半の霊能者はサイキック能力者であるが、サイキック能力では霊界の高級霊たちの援助を受けることができない。霊界の高級霊たちの援助を受ける能力とは「スピリチュアル能力」である。

真摯な祈りによって霊界の高級霊たちとの関係が密接になり、霊界の道具として奉仕のチャンスが得られるようになることで「真のスピリチュアル能力」を持つ「スピリチュアル霊能者」となる。

あえてサイキック能力を求めたり、持つ必要はない。


・祈りの効用を決定するのは、祈る人間の霊格

祈りに効果が現れるのは、祈る動機とその人間の霊格による。利他愛を実践したいという利他性を持っているか(=神の摂理に一致しているか)によって効用が変わる。

地位が高いとされている人(宗教機関の最高権威、教祖など)に祈ってもらえば叶えられるというものではない。祈る人間が利他愛、霊的成長の方向を向いているかどうかが重要である。



祈るための資格

・最高の誠意が要求される祈り

祈りは神との神聖な一対一の対話の場である。神は私たちの欠点も内面もすべてご存じである。

そのうえで誠意をもち、純粋一色になって神の前に出ていく必要がある。


・神の前での誠意とは

 常日頃から「霊的真理を実践しようと精一杯努力しているか」「摂理に反してもそこからまた何度でも正していこうと努力しているか」が神の前での誠意である。神の前に出るには常に努力が先行していなければならない。


<祈り=実践を前提とする>

実践を前提としたときのみ祈りには価値がある。実践を伴わない祈りには何の価値もない。



祈りのための準備運動(霊的ウォーミングアップ)

・祈りに先立つ霊的準備運動……外部から霊的エネルギーを取り入れる

霊的意識を引き上げ霊主肉従の状態にする

祈ることができないときは無理に祈らない

霊的準備運動とは、霊的エネルギーを取り入れて霊肉のアンバランスを整え、霊主肉従の状態にすることである。なかなか霊優位の状態になれない時にはひたすら霊的真理を読むのが一番良い。霊的意識が高められていないのに祈らないこと。


・霊的準備運動の具体的な方法……瞑想

瞑想が必ずしも良いという訳ではない。特に霊媒体質の人は瞑想によって低級霊が群がって来るので、真理を読む方が良い。また、疲れたときなどは霊肉がアンバランスになり、低級霊の働きかけを受けやすい。

低級霊から身を守る最大の武器は霊的真理を読み込むことである。

瞑想法はどのようなものでも構わないが、静かな状態で心を高めるようにする。

また、瞑想に際してチャクラに関する知識は特に必要ない。チャクラはエネルギーの出入り口ではあるが、それだけのことであって、チャクラに関する知識が無くても瞑想はできる。高額な金銭を支払って学ぶ程のものではない。


・霊的真理の集中読書は、最高の霊的準備運動

祈りの具体的方法と祈りの内容

・祈りの対象について(誰に向けて祈るのか)……神

祈りの対象は唯一、大霊のみ。


・祈りの時間と場所について……祈りやすい時間・場所は自分の霊的感覚で判断

最も理想的なのは、いつでもどこにいても一瞬に祈りの態勢になれることである。


・祈りは一人ですべきか、皆で一緒にしてもよいのか……原則は一人

同じ思いを抱いたスピリチュアリスト同士の祈りの会

何人かで集まって祈りをする場合は、予め時間と場所を決めておくと霊界側で準備をしてくれる。


・祈りは声に出してすべきか、心の中ですべきか

声に出しても、心の中で祈ってもどちらでも良い。

声に出すと、祈って良いことと悪いことが自分ではっきりと区別できる。

一方で声に出すと深い祈りがしにくいという側面もあるので、深い祈りに入った時には声に出さなくても良い。


・神の呼称について(神を何と呼ぶか)……大霊、神、大霊様、神様、天の親様など

何と呼んでも良い。ただし、「父」と呼びかけると男性神になってしまい事実と異なるので、性別を区別するような呼びかけはやめておいた方が良い。


・祈りの内容について――神に語りかける最低限のエチケットを守る

ご利益を求める利己的な祈りはしない。



<正しい祈りの項目と具体例>

◆自分の霊的成長に関する祈り

  ・自分の醜い心をなくし、弱い心を強くしてほしい。(霊主肉従)

  ・魂を成長させるための苦しみに耐える力を与えてほしい。(苦しみへの正しい対処)


◆利他愛実践と伝道に関する祈り

  ・もっと深く人を愛せるように、自分の心に広くて純粋な愛を宿らせてほしい。

  ・周りの人々に一刻も早く時期が来て、霊的真理を受け入れられるようになってほしい。

  ・時期のきた人と出会わせてほしい。(伝道)


◆道具意識に関する祈り

  ・もっと人々のために働かせてほしい。霊界の道具として役立ててほしい。


◆犠牲精神と使命に関する祈り

  ・人類のために、犠牲の道を歩ませてほしい。

自らを犠牲にしてでも人の役に立ちたいと願う祈り


◆霊的視野に立って自分の心を広くするための祈り


◆神の愛と摂理の支配を賛美する祈り


◆スピリチュアリズムを進める高級霊に対する感謝の祈り

高級霊に対して感謝をするが、あくまでも祈りの対象は神


◆スピリチュアリズムの展開に関する祈り


◆人類全体の霊的向上と霊的同胞世界の確立を願う祈り


◆触れ合う人々の霊的成長と真の幸福を願う祈り


※正しい祈りは善なる原因となって良い結果をもたらす



祈りの結果について

・祈りを聞き届けるのは霊会の霊たち(摂理を通して)


・正しい祈りは、正しい結果をもたらす


・間違った祈りは無視される


・祈りの結果

@祈りが正しくて(動機が純粋で祈りに誠意がこもっているため)、良い結果(霊的恩恵)が現れるケース。祈りが聞き届けられるという理想的なケース。

利他的な祈り、摂理にそった祈りが聞き届けられ、叶えられた。

A祈りの言葉は正しいが、祈る人の内面に問題(動機が不純・祈りに誠意がこもらず口先だけ)があるため、祈りが無視されるというケース。

祈りの言葉に心が伴わず、口先だけで祈っている、習慣としての祈りになっている場合、霊界側は全て見通しているので無視される。

B祈りは正しいが、相手に問題があるために良い結果が現れないケース。しばらくして聞き届けられる可能性があるケース。

苦しみを一定期間耐えなければカルマは清算されないため、相手のカルマが清算されるまでは祈りは叶えられない。相手が苦しみを乗り越えカルマが清算されたとき、祈りは叶えられる。

C祈りは正しいが、結果が現れるにはもう少し時間がかかるケース。しばらくして聞き届けられる可能性があるケース。

なかなか祈りが聞き届けられないようでも、時期が来れば叶えられる。摂理に従って働きかけられるので、忍耐が必要である。

D祈りの内容が間違っているために聞き届けられない(無視される)ケース。最も多いケース。

利己的、自己中心的な願いは聞き届けられない。(健康と物質的繁栄・不幸や災難の忌避など)

世の中の大半の祈りはこのケースで、間違っている。

E祈りは間違っているのに、一見すると聞き届けられたかのように思われるケース。低級霊の働きかけによる最悪のケース。

低級霊は、地上人の世俗的で低俗な要求に対していたずら半分でその願いを叶え、一度は有頂天にさせる。その後どん底に落とし、地上人が絶望し、苦しむ姿を見てほくそ笑む。

一見良いように思える時は低級霊が関与していることを疑う。


【参考】

スピリチュアリズム・ニューズレター 8号 低級霊の判別と対処方法(現代審神者(さにわ)学)



祈りに伴う霊的反応と心霊体験

・霊的エクスタシー体験……最高の神秘体験(三昧の世界・ニルバーナの境地)、サイキック現象

一瞬のうちに神と一体になったような神秘体験を経験することがある。マザー・テレサは36歳の時に“イエスと出会う”という神秘体験をしたことがあまりにも強烈に印象付けられ、その後神秘体験を得られなくなったことで“神の不在”に苦しむことになった。もし、マザー・テレサが霊的真理を知っていたら神秘体験が特殊な条件が整って得られた“心霊現象”であったことを理解し、神の不在に苦しむこともなかったはずである。

 

【参考】

スピリチュアリズム・ニューズレター 50号 「マザー・テレサの『心の闇』の問題」


・祈りにともなう心霊体験とその危険性……瞑想・祈りの場所には低級霊が押しかける

霊媒体質者は真理による“霊的武装”が不可欠

霊媒体質の人は特に憑依などの危険があるため、安全で確実に霊主肉従の状態になるには瞑想をするよりも霊的真理をしっかりと読む方が良い。


・瞑想・祈りでは心霊現象が引き起こされることがあるが、心霊現象を大げさに考えない

瞑想・祈りは霊界との接近をはかる行為なので、低級霊が寄ってきやすい。神秘体験を得ようとして瞑想をするなど、動機が不純な場合は益々低級霊を引き寄せてしまう。

例え神秘体験をしてもそのことを大げさに考えない。往々にして神秘体験をすると自分が特別だと考えてしまうが、霊的真理をしっかりと頭にいれて現象にとらわれないようにする。更に、その体験をすることに霊性の高い低いは関係のないことである。神秘体験をしたからといって霊性が高い訳ではない。霊的エクスタシー体験はあくまでもサイキック現象に過ぎない。


<祈って良い状態の指標>

霊的視野を持てるようになったかどうかが“祈って良い状態(=霊主肉従の状態)”の指標である。利他的な想いでいっぱいになっている時、シルバーバーチの祈りと自分の心が一致した時が霊主肉従の状態である。


<祈りは実践が前提>

実践を前提にしていない祈りは間違いである。祈りの内容が間違っている時は既に実践が前提となっていない。実践が伴わないなら祈りをしない方が良い。





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