16章 睡眠中は何をしているのか

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レジュメ作成者:スピリチュアリズム普及会 若山明子氏

黒字はスピリチュアリズム普及会、若山明子氏作成のレジュメ

  青字は読書会中に若山氏が語られた内容

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はじめに

 「神」と「死」についての謎を解き明かすことが、人類にとっての2大テーマです。そのためにこれまで様々な宗教が興されてきましたが、どの宗教も「神」「死」について曖昧な内容しか示すことができませんでした。しかし、スピリチュアリズムの登場によって、「神」と「死(霊界)」について明確な、納得出来る内容が明かされました。

 「死」について考える時、以下のような3つのアプローチがあります。

@この世からあの世への移行…死後の世界はどうなっているのか、人間は死後どうなるのか

Aこの世からあの世へ行って、またこの世へ戻ってくる…臨死体験、睡眠

Bあの世からこの世へ来る…再生

 先月、12章で「死後の世界」というテーマで学んだので、今月は二番目のアプローチ「臨死体験、睡眠」について学んでいきます。

 臨死体験とは、一旦仮死状態となって霊界へ行き、また地上へ戻ってくる体験を言います。生き返った人があの世で亡くなった家族と会ったとか、美しい花畑にいたなどという体験談はよく知られています。シルバーバーチによると、その「臨死体験」は特別な人だけがするのではなく、実は誰もが睡眠中毎晩「臨死体験」をしていると言うのです。

 本章では、睡眠中は何をしているのか、夢にはどのような意味があるのかを学習します。


死に関わる問題の3つのアプローチ

@ 死後の人間、死後の世界

A 臨死体験(睡眠)

  睡眠も実は臨死体験をしているのと同じ

B 再生

  死後の世界から再び地上へ誕生する=再生



謎に包まれた睡眠と夢

・睡眠中……通常の意識を失って“外見上は死に近い状態”

   覚醒中とは別の人生の一部分になっている

・睡眠中に“夢”を見ない人はいない

・人間は“夢”の中でリアリティーある世界を体験している

   → しかしそれが覚醒中の世界とどのような関係があるかは不明のまま

・“夢”は神や霊から与えられた霊感(インスピレーション)やお告げ

    夢が実現 → “正夢”“予知夢”

    夢の中ですでに他界している知人と会う

・現代人にとっても、睡眠と夢は大きな謎、神秘(睡眠と夢の実態についてほとんど分かっていない)

・睡眠に対する科学的研究(脳波の測定)……「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」

・近年の深層心理学(フロイトの見解)……夢分析・夢占い(※精神分析学)

・“幽体離脱”“臨死体験”という特殊な体験

 睡眠中の状態や夢というのは、ある意味での神秘体験であり神秘現象である。古来夢には不思議なことがあると信じられてきた。現代人にとっても、睡眠と夢は大きな謎でその実態はよくわかっていない。睡眠の科学的な研究としては、睡眠には「レム睡眠」「ノンレム睡眠」という状態があるということが脳派の測定から分かるようになった。夢はレム睡眠中に見るということも分かっているが、これはあくまで睡眠中の肉体の変化を観察したもので、夢そのものの解明ではない。また、フロイトの夢分析などは広く知れ渡っているが、これもあくまで仮説に過ぎず、霊的観点から見た時には多くが間違っている。そして睡眠・夢とよく似た現象として「幽体離脱」「臨死体験」というものが近年クローズアップされるようになってきた。臨死研究ではレイモンド・ムーディなどが有名である。

 こうした動きがあったものの、睡眠・夢についての真実が明らかにされたと言える状態ではない。

シルバーバーチが明らかにした画期的な睡眠論(睡眠中の体験の真実)

・大半の人間が、毎晩の睡眠中に“幽体離脱”して、あの世(霊界)を訪問している

   ⇒“幽体離脱”“臨死体験”は特殊な人間にのみ発生する神秘現象ではない

     誰もが日常的に体験しているきわめてありふれた心霊現象

 目覚めた時に覚えていないだけで、誰もが毎日、睡眠中に幽体離脱をして、臨死体験をしている。死後の世界を信じている人でも、臨死体験は特別な人だけがするものと思っているが、シルバーバーチは「睡眠によって誰もが日常的に行っている心霊現象」だと言っている。幽体離脱は特別な人にだけ起こるものではなく、誰もが日常的に体験している心霊現象である。

 大半の人間は覚醒してから、睡眠中の体験を思い出すことができない。一部の人が偶然に思い出せば、それを“幽体離脱体験”“臨死体験”をしたとして騒がれる。実際は思い出せないだけで、誰もが毎晩体験しているが、思い出せないだけ。

・幽体離脱中の霊体は“シルバーコード”で肉体とつながれたまま遠方や霊界に赴く



 霊体と肉体は二本の太いシルバーコード(一本は松果体、もう一本は太陽神経叢に繋がっている)と、無数の細かいシルバーコードで繋がれている。睡眠中はシルバーコードが無限に伸びて肉体と繋がったまま霊体だけが霊界を訪れる。これが「幽体離脱」している状態である。

・遠く離れたところにいる他の地上人が、その霊体を認識することがある(“生霊”の正体)

 幽体離脱して移動する霊体を地上の人間が見たものが “生霊”である。

※死後の世界があるのは当然の事実であり、重要なことではない。死後の世界の証明が目的ではない。それを前提としてシルバーバーチの届けてくれた霊訓を学び、地上で正しく生きていくことが重要である。シルバーバーチのような高級霊界からの通信だからこそ、正しい知識を得ることができる。

睡眠中の霊界探訪とその目的と記憶

(P270/10〜LB2、P213/LB1〜P214/4)

・すべての人間が毎晩、睡眠中に“幽体離脱”して霊界を訪れている

   ⇒ 霊体を死後の世界に適応しやすくし、ショックを受けないようにするための大霊の配慮

・大半の人間は、睡眠中の体験の記憶を思い出せない

・死後、霊界に入ると、地上時代に睡眠中に訪れた時の記憶を思い出すようになる

 全ての人が毎晩睡眠中に、臨死体験をしている。うつらうつらしている時に、肉体から霊体が離れようとしているのがわかる時がある。毎晩霊界へ行くのは、死後霊界へ行ったときのショックを和らげるために、地上にいる間に霊界に慣れる目的がある。これは地上と霊界の環境が違いすぎる為にショックを受けるのを防ぐという神の配慮である。

 霊界では様々なことを見聞しているが、霊的意識で体験したことを肉体の脳を通してすべて思い出すことはできない。しかし、潜在意識にはしっかりと刻まれているため、死後霊界での生活に慣れていくと徐々にそれらの体験を思い出し、霊界に適応していくようになる。

睡眠中の訪問先について

(P270/LB1〜P271/5)

・睡眠中の訪問する世界は、霊性の進化の程度に合ったところ

 行きたいところへは何処へでも行くことができるが、それは自分の霊性レベルの界層が上限で、それ以上の界へ行くことはできない。これは、子どものうちは体験が少なく狭い行動範囲に限られるが、大人になれば分別や体験が増え、行動範囲が広くなるのと似ている。

・暗い世界に行く2つのケース

@霊性は低いため、霊的親和力によって低い世界に引きつけられるケース

 

    ⇒ エゴ性の強い人間

A霊性が高い人が、救済の目的で自発的に低い世界に出向くケース

 夢は、後に述べるようにさまざまなことが影響しているので、必ずしも暗い世界の夢を見たからと言って、自分が霊性の低い人間と思う必要はない。シルバーバーチの霊訓を手にしてそれを真実として実践しようとしている時点で、それにふさわしい霊性であると自分を信頼すればよい。

低い世界への訪問と死の自覚の関係について

(P214/LB4〜LB1)※@のケース

・死の自覚を得る上で睡眠中の体験は役に立たない

・そうした人間が死後に行く世界は、地上と似ているために目覚め(死の自覚)が得られない

 エゴ性が強くて暗い世界へ場合、地上に一番波動の近い幽界の下層へと引き付けられる。そこは地上とほとんど変わりがないので、睡眠中に訪れても意味がない。なぜなら、死後は睡眠中に訪れていた幽界の下層へ引きつけられて行っても、地上とそっくりの世界のため、環境の変化によるショックがほとんどなく、自分が死んだことに気付くことができないからである。

 睡眠によって霊界での生活に慣れるために毎晩霊界へ訪れるような配慮がなされているが、あまりにもエゴ性の強い人間は、こうした神の配慮が行き届かないということである。

夢について

(P272/2〜9)

・夢には数多くの種類がある

――脳内の残像や記憶の反映、前日に食べた食べ物の影響、部屋の気温の影響、脳内の

記憶を材料にしたストーリーなど

              ↓

その中に霊界の体験との記憶としての夢が含まれる

(ただしその夢は、実際の体験そのものでなく、大きくゆがめられたものである)

 油っこいものを食べたり、食べ過ぎで苦しい思いをしたりしたときには、それが反映して苦しい夢を見たりすることがある。また、以前に行ったところや体験したこと、本の内容、テレビに内容なども影響してくる。そうした中に霊界での体験が断片的に含まれるので、大きく歪められた形の支離滅裂なものになる。霊界へ行って体験した内容は夢のほんの一部で思い出さないことも多い。夢自体、他愛もないことの方がほとんどである。夢のすべてが霊界での体験ではない。

※動物も夢を見るが、霊界の体験に関連する夢を見るのは人間だけである。動物には霊体がないため人間のような霊界訪問はない

<参考リンク>

スピリチュアリズムの思想[U]>6.霊的世界の存在者たち>(7)動物の死後のゆくえと、動物界の進化

<スピリチュアリズム普及会公式サイトへ>

 

睡眠中の霊界での体験と「夢」との関係

(P215/2〜LB5)

・睡眠中は魂の発達の程度に応じた世界での体験をする

・睡眠中の霊的体験を脳の意識で思い出そうとすることは、小さな袋に無理矢理大きなものを詰め込もうとすることと同じで、形がゆがんでしまう

  ⇒  「変な夢」の正体

・霊性が発達した人  →  訓練によって睡眠中の霊的体験を夢として思い出せるようになる

 睡眠中の霊界体での体験を脳を通して思い出そうとすると、キャパシティの小さい脳には収まりきらず、形がゆがんでしまう。このような事実から、フロイトの夢分析は無意味であることがわかる。

睡眠中の体験の思い出しについて

(P270/5〜7、P271/LB4〜LB1)

・覚醒中の顕在意識で、睡眠中に発揮していたより大きな霊的意識の記憶を思い出すのは困難

 脳を中枢とした意識でインディビジュアリティを思い出すのはとても難しい。大きなものを小さな器に入れるようなものだから。

・訓練によって睡眠中の体験を思い出せるようになることは可能(高い霊性と努力が要求される)

・物的身体(肉体の脳)と霊的身体(霊体の心)の連携作用が緊密

  ⇒ 睡眠中の体験を夢として思い出せるようになる(個人差が大きく、大半の人間には不可能)

  ⇒ 訓練で睡眠中の体験を思い出せるようになることは、今の地上人の霊性では不可能

・睡眠中の体験を簡単に思いだせる人――優れた精神的霊媒になれる可能性がある

 (P215/9〜11参考)

 幽体離脱体験をしたいからとヘミシンクのようなことを意図的にする人が居るが、このような行為はドラッグやチャンティング、デブリーフィングによって、低次元の霊的中枢が刺激され精神の異常な興奮や憑依の危険性が高まるのと同じく、非常に危険である。霊性が高くなり、自然に霊能力が開発される場合には危険は伴わないが、無理矢理に霊能力を開発すると、低級霊の格好の餌食となり憑依現象を引き起こすことになる。

一時的に幽体離脱体験をすることは可能だが、非常に不自然で危険であることを理解しておくこと。肉体行と言われるような修行を続けるとサイキック能力は開発できる。オウム真理教はそれを利用した。不自然な肉体行は誤りである。先に霊的知識を得て、霊的真理に基いた生き方、利他的な行為をする中で霊的成長し、自然と霊能力が出てくるようになる。現在では霊能者はほんのひと握りだが、遠い将来には皆が霊能者となる。今の時代、霊能力を持って生まれてきた人は低級霊の影響を受けやすく、生きるのがとても大変だが、自己コントロールをすることで霊的成長ができるようになる。

睡眠中の体験の意義

(P215/LB4〜P216/1)

・睡眠中の体験を思い出すことができなくても、何一つ無駄にはならない

・死後には確実にそれらを思い出し、死の自覚と霊界への適応に役立つようになる

 睡眠中の霊界での体験を思い出せなくても、誰もが毎晩、臨死体験をしている。睡眠中にあちこち連れて行ってもらっている。それらは死後必ず思い出すように神の配慮が行き届いている。

予知夢についての2つのケース

(P275/LB5〜LB2)

・愛の絆で結ばれた霊からの警告・メッセージを夢の形で思い出すというケース

 霊は少し先のことはある程度予測できるので、守護霊や背後霊が訓えてくれる

・睡眠中に幽体離脱した霊体が、未来の出来事を感知し、それを夢の形で持ち帰るというケース

 霊的世界に行くと肉体に繋がれているとはいえ、霊体だけなので敏感になるため、予測ができる。その内容を覚えていた時には正夢や予知夢となる。

睡眠中の幽体離脱と憑依について

(P273/LB4〜P275/8)

・睡眠中に低級霊に憑依されることはない

⇒ 絶対にない

・肉体と霊体はシルバーコードでつながれているため、霊体の意識は、幽体離脱中でも肉体を管理している

  ⇒  憑依は起こらない

睡眠中に幽体離脱をしている間は、霊体を霊の入れ物として霊界を探索しているが、その間も肉体をきちんと管理しているので、決して憑依は起こらないようになっている。

・憑依は、本人が自由意志でそれを自ら選んでいる〈望んでいる〉場合以外には発生しない

憑依霊と親和性を持っていると憑依される。利他的な思いを持っている人には同じ波動の霊が引き寄せられる。地上でも同じ波長の人同士が集まることが多いが、肉体を持たず霊体だけの存在になるともっとその親和性が強烈になる。

憑依される人は、自由意思でそういう方向へ意識を向けているのであって、自ら望んで憑依されているのと同じことであると言える。例え霊媒体質でも、利他的な思いで霊的実践の人生を歩んでいれば、憑依されることはない。


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