7章 神とは何か

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レジュメ作成者:スピリチュアリズム普及会 若山明子氏

黒字はスピリチュアリズム普及会、若山明子氏作成のレジュメ

  青字は読書会中に若山氏が語られた内容

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人間の二大問題

@神について……人類にとっての共通の関心事でありながら、人間的な小さな視野でしか想像

            することができず、これまで誰も真実の神の姿を知らずに来た

A死について……医学界では死は敗北ととらえられる。

            死別に際してどう死と向き合うかが人間の課題

神は、人間にとって最重要なテーマ

・宗教における最も重要なテーマ

信仰者にとっての絶対的存在であり、崇拝と祈りの対象

・さまざまな神観と信仰

唯一神信仰……キリスト教・イスラム教・ユダヤ教

多神教信仰……神道・ヒンズー教・古代ギリシャ信仰・古代エジプトなど

自然神信仰……シャーマニズムにおける信仰、太陽・雷・自然界の存在物を神格化し、信仰と崇拝の対象とする

人物神信仰……歴史上の人物を神格化し、崇拝と信仰の対象とする

現人神信仰……現在生きている人間を神の化身として崇拝・信仰の対象とする

 地域や宗教によって神のイメージは全く異なっている。例えば、神道は天照大神を始めとする八百万の神を信仰対象とする「多神教」であり、キリスト教はたった一人の神を信仰する「一神教」である。また山や太陽などの自然を信仰の対象とする「自然神信仰」や、過去の聖人(マリア・パウロ・菅原道真・弘法大師など)を神と同一視して信仰する「人物神信仰」、現在生きている人間を神の化身として信仰する「現人神」など、地上には国や地域によって様々な概念の神を信仰する宗教が存在している。

 しかし、それ程多様な宗教がありながら、正しい神観に基づいた宗教・信仰はこれまで存在しなかった。

・これまで地上の宗教には正しい神の認識と理解がされてこなかった

  → 信仰それ自体が間違ったものになっていた

   地上にはこれまで正しい信仰が存在しなかった(P439/LB1〜P440/1)

・祈りとは神に対しての人間サイドからの働きかけ

  → 神に対するイメージや認識が間違っていれば、祈りそれ自体が的外れなものになってしまう

・正しい宗教・正しい信仰・正しい祈りを確立するためには

  → 神についての正しい認識が必要

 信仰において「神観」は全ての土台となるものであり、神についての認識が誤っていると全てが誤りとなってしまう。例えば現人神信仰の場合、教祖が神の化身として崇拝され、絶対者である教祖の言うことに従わなければならないとなると、オウム真理教のように道を外れてしまうことになる。

 真実の神とかけ離れた神観に基づいた宗教は、その教義も祈りの内容も純粋な信仰心も、すべてが誤りとなってしまうが故に、宗教を信仰する者は正しい神の姿を知る必要がある。

・シルバーバーチは人類史上、初めて神に関する真理(神観)を解き明かした

  → 地球上にはじめて真実の宗教・信仰のあり方が示される(P58/LB2〜LB1)

 シルバーバーチによって人類史上初めて神の正しい姿がもたらされた。イエスが説いた「愛の神」は、当時の神の概念からすると画期的であり、また神の一側面として正しいが、それだけではない神の姿がシルバーバーチの霊界通信によって届けられた。スピリチュアリズムを知ったということは、「神の真の姿」という貴重な知識を手にしたということである。



シルバーバーチが明らかにした正しい神の姿

・スピリチュアリズムは唯一神信仰――唯一の神のみを信仰対象とする

 スピリチュアリズムは唯一神信仰である。

 日本のスピリチュアリズムを確立した浅野和三郎はその功績も大きいが、古神道という「多神教信仰」とスピリチュアリズムを混同してしまうという大きな誤りも犯している。スピリチュアリズムは人類の知性の進化に応じて霊界から計画的に降ろされた知識であって、古代の信仰と共通点はあっても、その内容は本質的に異なるものである。せっかくシルバーバーチの訓えがありながら、浅野和三郎の思想から抜け出せないでいる人もいるが、それではいつまでも神の真の姿をとらえることはできない。

 シルバーバーチが明らかにした神観は、現時点の地上において最高レベルである。

・シルバーバーチが明らかにした唯一神の特性「5つの神の定義」

  ……創造主・大霊・愛の始原・究極の理想・摂理の神

創造主としての神、愛の神、という神の概念はキリスト教の説く神と同じであるが、その深さや内容がスピリチュアリズムとは異なる。


<5つの神の定義>


@ 創造主としての神・人間にとっては霊的親としての神

 ・宇宙と霊界、そしてそこに存在する全ての生命体・存在物を創造

  人間も神によって創造された → 神は人間にとっては霊的親、人間は神の霊的子供

 ・人間には神の霊の一部分(分霊・ミニチュアの神)が付与されている → 人間の内部には、神と 同じ分霊が内在している

 ・大霊の分霊 = 人間の本体 → 人間は霊的存在者

 ・P59/1〜2、P394/1〜3、P78/7、P97/4〜5

 万物すべてを創造したのは神であり、人間も偶然や自然発生ではなく、神の意図に基づいて計画的に創られ、神は人間にとっての霊的親である。更に、ただ単に神が創造主であるというだけでなく、人間にのみ神の分霊が賦与され、動物とは一線を画している。これがスピリチュアリズムによる人間観の基礎であるが、この内容は人類史上初めてシルバーバーチによって明らかにされた事実である。

 皮膚の色や言語の違いは関係なく、人間は誰もが例外なく大霊を共通の親とする霊的兄弟姉妹であり、個性はそれぞれに異なっていても皆同じ大霊の子なのである。人種差別や戦争はそのことが理解されていないところから発生する。全人類が家族であるという事実を理解すれば、家族を大切に思う気持ちは誰しも持っているので、その範囲が広がれば利己主義は影を潜めるようになるはずである。

 それがスピリチュアリズムの目指すものであり、その認識が世界人類に広がれば、地上天国は必ず到来する。


A 大霊としての神

 ・神はあらゆる生命の中、存在物の中に内在している

 ・神は万物の内側と外側に存在し、神から離れて存在しているものはない

 ・P120/7〜LB3、P390/7

 神とはこれまで人類が想像してきたような人間的な存在ではなく、無形で無限の存在である。心が無形であってもそこに存在するのと同じく、神も無形でありながら確実に存在している。神とは万物を包み込み、全てに偏在し、経綸している無限の霊的存在、つまり大霊(The Great Spirit)なのである。

 全ての存在物は神から離れて存在することはできず、宇宙のすべてを神が支配している。あらゆる存在・法則・生命体に神が内在している。神の関与しない場所・物質・生命体は存在せず、全てが神の摂理のもとで管理されている。


B 愛の始原としての神

 ・「神は愛の存在である」……イエスによってはじめて明らかにされる

   → 画期的な神観が地上にもたらされた “恐れ・嫉妬の神”は“親なる愛の神”になる(地上人類の神観の大飛躍、神観の革命)

 ・P120/7 大霊は完全なる愛であり…

 ・神は愛から人間を創造し、全人類の霊的親となり、人間は神を共通の親とする霊的兄弟姉妹となった

 ・神の愛(利他愛)が、神と人間、また人間同士を結ぶ霊的絆となり、神の愛が全ての存在物を結び つけることになった → 愛の摂理による支配が確立し、神を中心とする愛の世界が形成される

 ・機械的な冷たい摂理(法則)の支配の背後に、温かい“神の愛”が存在している

 「愛の神」はイエスによって初めてもたらされた神観である。それまでは、地上人の狭い視野から機嫌を損ねると怒り、罰を当てるといった人間的な神を想像していたため、神を恐れ、生贄や供物を捧げてきた。そうした中でイエスが明らかにした「愛の神」という神観は革命であった。そしてシルバーバーチによって「摂理の神」が明らかにされ、人類の神観は更に進められた。

 神の愛は完全なる愛であり、人間的な未熟な愛ではない。その完全な愛によって神は私たちを一人の例外もなく愛してくださっている。どのような大きな過ちを犯そうとも、たとえ神に背を向けようとも、必ず霊的成長をするものと私たちを信じ、常に変わらず愛し続けてくれている。誰もが救われるような摂理をつくってくださっている。ただし、霊的成長をする(救われる)には私たちが自分の意志で霊的救いの道へと歩みださなければならないようになっている。自由意思によって善(利他愛)を志向し、行動することで霊的成長をするようになるのである。

 摂理を通して私たちを愛してくださるということは、誰一人不当に扱われることもなく、誰一人優遇されることもない、絶対的平等・公平な愛で愛してくださっているということである。誰一人神の愛の手からこぼれる人はいない。法則によって支配され、機械的に働く摂理を見ると、一見冷たく、容赦なく感じられるが、その背後には「誰もが不公平なく平等に霊的成長できるように」との神の深い愛が存在しているのである。


C 究極の理想・目標としての神

 ・人間の分霊は、永遠の霊的成長の道をたどって、神に近づいていく

  神は人間にとって永遠に目指す目標であり、理想である

 ・P83/LB4〜3、P127/7〜10

  死後、永遠の霊的成長の道が待っている。

霊性が高まれば高まるほど摂理と調和し、神に近づいていく。しかし、永遠に霊的成長の道を歩むが、神と一体になることは無い。


D 摂理としての神(摂理の神)

 ・神は摂理を設け、それを通して万物を創造し、維持し、運行し、支配する

 ・神の摂理の完璧性――神の完全性・絶対性・全知全能性

 ・シルバーバーチの神観の最大の特色、シルバーバーチが人類史上初めて明らかにした画期的な神観

  従来の宗教における信仰を根底から覆すことになる神観

 ・P440/1〜2

 「摂理の神」という神観はこれまでどの宗教も明らかにすることができなかった。摂理があることは誰もが漠然と知っているが、それを神が経綸していることまで考えることはあまりない。神が摂理によって宇宙を経綸していなければ宇宙は維持できない。

 シルバーバーチが明らかにした「摂理の神」という神観によって、従来の宗教における神観は覆されることになる。キリスト教が説くような、イエスが人類の罪を贖い、イエスを信じれば救われるといった一方的な赦しの思想(贖罪思想)は誤りである。誰かが身代わりに神に赦しを請い、罪を償ってくれるのではなく、自分の罪は自分で償い、自分自身で自分を救うのである。全ては厳然とした摂理に則って救い(霊的成長)がもたらされるのである。

 また祈りについても、従来の宗教では多く祈るほど願いは叶えられやすくなり、神に近づくことができると考え、神と直接対話し、祈りを叶えてもらうことが宗教者の特権と考えられてきたが、信仰に関わらずすべての人間が平等であり、特別な恩寵など存在しない。神は人間と摂理を通して対峙しているのであって、神に対して多く祈ったとしても摂理から外れていたら叶わないし、たとえ祈らなくても摂理に沿った行動をすれば願いは叶えられる。全ては摂理を通して運行され、そこには一切の例外はない。特別の恩寵も無ければ、不当に扱われることもなく、完全に平等である。だからこそ誰もが等しく神に愛されていることを理解することができる。



シルバーバーチの神観の最大の特色―― 「摂理の神」(シルバーバーチが明らかにした画期的な神観)

・大霊は摂理を造り、その摂理を通じて宇宙・万物・人間を支配している

 宇宙も万物も人間も、神の摂理によって存在を維持している

・人間は神の摂理を通して神と関係を持っている

 神と人間は、間接的な関係で結ばれている

 これを人間サイドから見ると、神は常に摂理として現れることになる

・P121/4 一般人の考える神とは、実は神の摂理のこと

・P93/LB1〜P94/1



「摂理の神」が意味するもの

・大霊は摂理を通して人間に接している → 間接的な関係であって直接的な関係ではない

・摂理は機械的に支配し、働き、一切の例外はない

  → 全ての人間が平等・公平、特別な恩寵は存在しない

・これまでの地上の宗教・信仰の間違い

  神に必死になって祈れば神がそれを聞き入れてくれる

  特別な配慮や奇跡を起こして救ってくれる

  → 「摂理の神」はこうしたこれまでの信仰が根本的に間違っていたことを明らかにした

・人間にとっての“正しい信仰”とは――神が定めた規則(摂理)に沿うための努力のこと

  その努力を通して、霊的成長が促されるようになる

  自分のほうが摂理に合わせ一致していくことが“正しい信仰”

  神に願いをしたり特別な恩寵を期待することではない

  摂理から外れたものは一切聞き入れられない

 信仰とは祈ることではなく、摂理に沿うように努力することである。信仰のためにはどこかの宗教に入信する必要もなく、経典や儀式も必要ない。洗礼を受けなくても誰もが初めから神の子であり、神は、人間が神を信じようと信じまいと分け隔てなく愛してくださっている。スピリチュアリズムも、便宜上スピリチュアリズムという名称を使用しているが、摂理に沿うかどうかがすべてである。霊的真理を知り、正しい神の姿を知っても、摂理に則した生き方ができていないなら、相応の結果を自ら引き受けねばならない。

・“祈り”とは神に語りかけ、人間から神に働きかける信仰的行為であるが、“正しい祈り”とは大霊 の摂理の支配に反しない内容でなければならない

 正しい祈りをするためには摂理について正しく知ることが必要

 これまで地上に宗教や信仰者は神の摂理がわからなかった

 → 意味のない無駄な祈りを延々と続けてきた

 祈りは尊い行為であるが、摂理に反してまで自分に都合の良いお願いをするのは間違いである。摂理を正しく知ることによって、正しい祈りが可能になる。

・神は摂理を通して全てを支配しているため、神は万物の全てを把握し、神の影響力は万物の内側と 外側に偏在するようになっている

「摂理としての神」は、万物に遍く存在する「大霊としての神」を意味する(P121/4〜LB2)





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