12章 死後の世界

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レジュメ作成者:スピリチュアリズム普及会 若山明子氏

黒字はスピリチュアリズム普及会、若山明子氏作成のレジュメ

  青字は読書会中に若山氏が語られた内容

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はじめに

スピリチュアリズム(Spiritualism)という単語は「spiritual (精神的な・霊的な)」という単語と「主義」を表す「ism」で成り立っています。spiritual の語源は 「spirit (霊)」 であり、このことから、スピリチュアリズムとは「霊」について学ぶことと言えます。霊について学ぶ時、「死」の問題を避けて通ることはできません。

 これまで「死」についての問題は宗教に解決の糸口を求めてきました。しかし、従来の宗教では「死」や「霊」・「死後の世界」について真実を解明できず、死の恐怖から人々を救うことができませんでした。そこで人類の真の救いのためにスピリチュアリズムがおこされ、「人間は霊的存在である」「霊界がある」といった霊的事実がもたらされました。

スピリチュアリズムの要素には大きく、「@死と霊に関する真実の知識・正しい知識を知ること」と「A霊・霊界(霊的なもの)を重視する“生き方”」があります。スピリチュアリズムの定義は「霊界人主導の人類救済の大事業」ですが、そのためには「正しい知識とそれに沿った生き方」が必要不可欠です。

 スピリチュアリズムによってもたらされた霊的知識は、単なる知識や心霊研究としてではなく、生き方の指針として身を持って実践するためのものなのです。


“死”と“死後の世界”の問題(死生観と死後世界観・他界観)

・これまでの“死”の考え方

――“死”は人間である以上避けられない宿命、最大の恐怖

・人間にとって“死”と“死後の世界”は思想上の最大のテーマ・課題

・宗教の使命――死の問題を解決して、人々を死の恐怖から救うこと

   (※しかし宗教自身が霊的に無知で、真実の教えを説くことができなかった)

多くの人にとって「死」は最大の恐怖である。その恐怖から人々を救うために宗教が発生したが、これまでの宗教では「何故死ぬのか」「何故死に向かって歩むのか」といった謎を解き明かすことはできなかった。


スピリチュアリズムとシルバーバーチによる画期的な「死生観」と「他界観(死後世界観)」

・明確な“死”と“死後の世界”についての知識 → 死の恐怖から解放される

・これまでの宗教の常識を根本から覆し、人類史上“最大の宗教革命”を地上にもたらした

・「シルバーバーチの霊訓」は、スピリチュアリズムによってもたらされた死生観と他界観(死後世界観)をさらに洗練、レベルアップ

・「シルバーバーチの霊訓」の死生観と他界観(死後世界観)

 霊界を本来の世界、地上界を仮の一時的な世界であると明確化

“死”とは本来の生活の場所に帰っていくことに過ぎない

 最大の悲劇・恐怖 → 新しい人生の出発という希望

            地上人生のご褒美として“待ち望むもの”

 スピリチュアリズムの登場によって初めて、「死」と「死後の世界」について知ることができるようになった。

フォックス家事件を皮切りに次々と心霊現象が演出され、交霊会が開かれるようになり、科学者を巻き込んで心霊現象を検証させることで物証を示し、霊や霊界が実在することを証明してきた。それによって従来の宗教で説かれてきたような、誤った「死生観」「他界観(死後世界観)」から脱却し、死の恐怖から解放されるようになった。今後長い時間をかけて宗教は「スピリチュアリズム」という一つの宗教に集約されていくようになる。

 スピリチュアリズムと一言で言っても、霊界通信にはは数多くのものがある。その中でもシルバーバーチによって届けられた霊界通信は現時点では最高レベルである。それまでにもたらされたスピリチュアリズムの霊界通信の内容を更にレベルアップした内容となっている。

 シルバーバーチの霊界通信によると、人間は「霊的存在」であり、霊界が本来の住処であるということである。霊界からの視点によって「死」とは「地上人生を終えて霊界に“戻ってくる”」という「“霊界中心”の死後世界観」をもたらした。


スピリチュアリズムの死生観 ――スピリチュアリズムが人類史上初めて明らかにした死に関する真実・霊的知識

@人間は死によって無にはならない

A死によって肉体と霊体が分離し、肉体は消滅するが霊的存在として生き続ける

 スピリチュアリズムによって、人間は霊肉の二重構造であり、具体的には霊・霊の心・霊体・肉体本能(肉の心)・肉体という5つの要素によって成り立っている存在であることが明らかにされた。そして地上人生を終えた後は、肉体を脱ぎ去り、霊・霊の心・霊体の存在になり、霊界で生活をするようになる。

多くの地上人は肉体が本体であると考えているが、地上人生を終えると肉体は朽ち果てるのみである。肉体が無くなると本来は本能も無くなるはずだが、地上生活において本能的に生きた人間はその想いが染み付いてしまい、地縛霊となって地上付近をうろつく。

B死とは肉体と霊体をつないでいたシルバーコードが切れること(死の定義)

 スピリチュアリズムによって人間の死の定義がはっきりと示された。シルバーコードが切れた時点が「死」であり、脳死は「死」ではない。脳死によって意識が無くてもシルバーコードが切れない限りは生きている。脳死によって臓器を摘出することは殺人行為に等しく、間違いである。

C人間は霊体を身体として、霊界でこの世と同じような生活を続ける

 人間は霊界へ行っても知的な生活を送る。肉体がなくなっても喜びや悲しみ、様々な感情を持って生きている。

Dしたがって死は永遠の消滅でも別離でもなく、これまで考えられてきたような恐怖ではない

 スピリチュアリズムの説く霊的真理によって得られる最大の恩恵は、「死は恐怖ではなく、悲しみでもない」「地上で生活するよりも遥かに幸福である」ことがわかるようになることである。

E霊界にいる人間(霊)と地上との間には、交流が成立する(心霊現象・霊界通信)

                ↓

          高次元の霊魂観

 地上人の霊的成長という目的のために、すべての人間に必ず一人の霊界人が「守護霊」として導き、愛し、守ってくれている。守護霊が居ることを知らずその存在を意識しなくても、常にそばに居てくれる。神の摂理や真理の理解を促し、共に悩み励ましてくれている存在である。こういう事実を知り、守護霊を意識して地上人から近づく努力をすれば、それまでよりも守護霊からの導きや影響力を受けやすくなる。霊能力の有無にかかわらず、誰もが霊界と交流できるのである。


シルバーバーチの死生観

 ――スピリチュアリズムの死生観(@〜E)を踏襲し、それをさらにレベルアップしたもの





 霊的なことに関心の無い大半の人にとって、地上生活が全てであるため、彼らは肉体が死ねば全てが終わると考えている。

 また従来の宗教では、人間は死ぬと霊魂として存在すると説いてきたが、霊魂がどのようなものかについてははっきりとわからなかったため、死後人間がどうなるのかを知ることができず、彼らにとってもやはり地上人生がメインであり、死は相変わらず恐怖・悲劇・不幸であった。

 しかし、スピリチュアリズムによって「死」は霊界への移行であり、死後も霊として霊界で暮らすことが明らかにされ、死は怖いものではなくなった。スピリチュアリズムによって「死を不安に思う必要はない」という事実が明らかにされたが、シルバーバーチはそれを更に進めて「死は喜びである」と説いた。より「死」を積極的に賛美し、地上生活を乗り切ったご褒美であり、喜びであるという。それは、人間の本来の世界が地上ではなく霊界であることを前提とした考え方によるものである。地上人生は本来の住処である霊界での生活への準備をする所・魂のトレーニング場であり、死後、霊の世界での永遠の歩みに比べると、地上での生活はほんの一瞬に過ぎない。

 このように、私たちはシルバーバーチの説く死生観によって、地上にいながら霊界の視点に立って物事を捉えることができるようになるのである。

 また、シルバーバーチは、霊界(死後の世界)があるという事実を伝えるだけではなく、その先の「生き方」をメインにした訓えを説いた。人間が霊的存在であり、本来の住処である霊界で生活する準備としての地上生活の有り方を届けてくれた。それは「霊界で行うことを地上生活で行うことが、霊的成長をする生き方である」ということである。

 以上のことを考えると、死・死後の世界をただの事実と捉える考え方から一歩進み、「霊的成長」をメインに説いたシルバーバーチの霊訓が現時点では最高の霊訓と言える。


スピリチュアリズムの明らかにした死後のプロセス(死後の出来事)を時系列に並べる

@死の瞬間 → A死後の目覚め → B幽界(霊界最下層)での生活 → C霊界の界層への移動と新しい生活

 極悪人でない一般的な人は、死の直後は地上の波動が抜けきらず、すぐに霊界になじめないため、まずは幽界と呼ばれている霊界の最下層へ行く。そこで霊界での生活に慣れるための生活をした後に、次の界へと移行していくようになる。


死の正しい意味(霊的観点から見た死)とは――死は悲劇ではない(死の意味の180度転換)

(P212/10〜P213/1)

 ・地上で生きていることこそ悲劇

 ・死は、肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由になること

 ・肉体の苦しみから解放されて、霊本来の姿に戻ること

 ・死は、神の摂理の支配の下での自然現象に過ぎない

(P211/1〜3)

 ・人間は死んではじめて生きることになる

 ・地上人は霊界人から見ると、死人同然

 シルバーバーチは、死は決して悲劇ではなく、地上で生きることこそ悲劇であると言っている。肉体に宿ると本来の霊的意識を認識できなくなるため、霊は肉体の牢獄に閉じ込められている状態といえる。地上にいる間は体を動かすことにも大変なエネルギーを必要とする上、肉体を維持するために食事・睡眠・休息などのケアも欠かすことができない。過食や過労など、誤った生活によって摂理から外れると病気にもなる。しかし、死によって肉体を脱ぎ捨てるということは、地上で肉体を持って生活する上での大変さが一切ない、排泄も飲食も睡眠も休息も必要のない本来の姿に戻るということである。

 「死」とは神の摂理のもとでカルマの清算をし、地上での霊的成長の過程を終えて霊界へ帰るという自然現象に過ぎない。


死の瞬間

(P219/1〜3) ・一般的には地上から霊界への死のプロセスには苦痛は伴わない

・たいていは無意識で、全身麻酔にかかったように意識を失い、眠りの状態に入る

・霊性の高い人の場合は、死ぬときの自分の様子を自覚することがある

 霊体と肉体はシルバーコードによって繋がれているが、そのシルバーコードが切れた時を「死」とする。

 死の瞬間、苦痛にゆがんだ表情をしていても、霊自身は苦しんではいない。普段から本能的に過ごしていた人は肉体と霊体の繋がりが強固で、シルバーコードもなかなか切れないが、逆に霊的に過ごしてきた人はすんなりと切れることが多い。


死後の目覚め

(P217/後ろから1〜P218/7)

・霊的知識がある人は自覚が早くなる

 死後の世界があることを知っている人は、死後の目覚めが早くなる。霊的知識の無い人は、幽界は地上そっくりの世界であり、霊体を肉体と思い込んでしまい、自分が死んだことに気付くことができず、自分の葬式を見ても、周囲の人に「あなたは死んだのですよ」と教えられても死の自覚を持つことができない。

・地上時代の信仰の無知と誤解・迷信は、死後の世界の目覚めの妨げになる

 キリスト教の教義で、死後は天使がラッパを吹くまで墓で待つと信じ込んでいた人は、本当に墓でその時を待ち続ける場合もある。誤った宗教教義による霊的牢獄化は、霊界へ行った後も人々の霊的成長を停滞させてしまう。

・すぐに目覚められない人は、長い休息期間を通して少しずつ死後の世界に慣れていく

・魂に深い傷を負った他界者を看病する病院がある

 霊界でも人々をケアする仕事をする人が居る。

・地上時代に人のために尽くした人は、目覚めが促進される

 地上時代の生き方によって、霊界での生活が変わってくる。

(P218/8〜後ろから2)

・唯物論者の目覚めも魂の進化(霊的成長)の程度による

 死ねば全てが終わると思っていた唯物論者は、死後自分の死を自覚するまでに時間がかかることが多いが、死後の世界を否定していた人物であっても利他的な人間なら、気付きも早くなる。霊的成長の程度によって変わってくる。

・目覚めると同時に、死後の世界の現実に直面することになる

(P224/3〜6)

・霊体が肉体から抜け出るのが分かる

・抜け出ると同時に霊的目が開き、周りに迎えに来てくれた知人と歓喜の再会を果たすことになる

 霊性が発達し、地上にありながら日常生活を霊優位に過ごした人は霊体と肉体の繋がりが弱いため、シルバーコードが切れるのもスムーズに進み、死に伴う意識の混濁も少なく、自分の死の過程を感じることができる。

 また、死に際しては先に他界した親しい人たちが、死んだ人に死を自覚させるため、本来の霊的界層から波動を下げて幽界まで降りてきて、本人が認識できる姿になって迎えてくれる。それによって自分は死んだのだと理解できるよう配慮されている。

(P224/後ろから4〜後ろから3)

・死の自覚がない人は、病院や休息所に連れて行かれて、霊界の環境に慣れるまで介護をされる

急に霊界へ行っても順応できないので、まずは霊界の最下層界である幽界で霊界へ入る前の準備整える。

 死後数日から数週間、半睡のまどろんだ状態で地上時代を振り返り、死の自覚をするというプロセスを踏む。その中で今後自分がどういう生活をするのかを理解し、幽界での生活へ入っていくようになる。


幽界(霊界の最下層)での生活

 急に霊界へ行っても順応できないので、まずは霊界の最下層界である幽界で霊界へ入る前の準備整える。

・霊界での若返り(P220/6〜7)

霊界での年齢(老若)は、地上のような年月による年齢ではなく、霊的成長によるもの

若いか歳をとっているかではなく、霊的成長しているか霊的に未熟かということ

・霊界でのコミュニケーション (P223/後ろから3〜後ろから1)

テレパシーによって意念が通じるため、地上のような言葉は必要ない

言葉が必要だと思っているうちは、言語を用いてコミュニケーションを図ろうとする

・霊界での移動 (P228/1〜7)

霊界での移動は思念のスピードでなされる(テレポーテーション移動)

どこへでも思念と同じスピードで移動できる

 どこへでも行けるといっても、霊界は全てが波動の細かさや粗さで決まっている世界なので、本人の霊的成長度以上の界へ行くことはできない。

・霊界での支配者 (P221/後ろから5〜後ろから4)

霊界には地上のような権力支配者はいない

霊界の支配者は神の摂理のみである

霊界では愛の上下関係はあっても支配関係は存在しない

・死後の世界(幽界・霊界)とは楽園のような素晴らしいところ

(P210/8〜後ろから1、P211 /8〜P212/4、P213/2〜後ろから 2)

肉体の苦痛が消滅、疲れもない、望むところに自由に行ける

心で考えたことがすぐに形をもって現れる、お金の心配がない

地上とは比較にならない美しい自然界と自然環境がある、才能を思う存分発揮できる

生存競争がない、失業がない、スラムがない、利己主義と宗派がない

 私たち地上人は、肉体に宿っているために霊界の真の美しさを知ることはできない。考えたことがすぐに実現し、地上の美しいものとは比較にならないほどの美が存在する世界、弱い者いじめも利己主義も一切存在しない世界、あるのは大霊の摂理のみというのが霊界である。死んで「幽霊」になった時は、地上では決して味わえない美しい世界を満喫できるようになる。地上は至ってお粗末な世界でしかない。


愛する人とのあの世での再会

(P224/後ろから2〜P225/2)

・本当の愛があれば、地上では一緒になれなかった者同士は会えるようになる

・また死別した者(家族・知人)とも会えるようになる

(P222/6〜9)

・霊界では愛着を感じている歴史上の人物に会うことができる

 肉体本能にもとづいた利己的な愛ではなく、「利他愛」という「霊的な愛」を地上で築くことができれば、霊界で再会することができる。家族であっても、血縁によるつながりを超えて霊的な愛を身につけていなければ、永続する愛情関係を築くことはできない。


幽界から霊界へ

・幽界は地上と比べると天国・楽園のようなところ

→ 素晴らしい世界で、そこでの生活に誰もが満足する

→ 徐々に飽きが来て、もっと向上したいと思うようになる

・幽界の生活の意味――純粋な霊的世界(霊界)に慣れさせる

地上的要素(物質臭)を取り除いて、霊的に純化する

  →自分の霊性レベルに合った霊界の界層に入っていく

 幽界は望むものが何でも手に入り、地上に比べれば素晴らしい世界である。しかし、それは過渡的な界層にすぎず、人間は本質的に霊としてより高い霊的レベルを目指すという「霊的本能」を授かっているので、何の苦労もせずに望みどおりに過ごす世界に飽きるようになる。幽界は、地上的なもの・物質的なものを取り除き、霊界へ行くための準備をする場所として存在するため、幽界での生活が霊的成長レベルに合わなくなると幽界を卒業して自分の霊性レベルに応じた霊界の界層に移行することになる。


霊界の界層

(P225/後ろから6〜P226/2)

・霊界の界層は地上世界のような地理的区域ではない

(P228/後ろから1〜P229/8)

・一つの霊界の中に、無数の界層がある

・地球以外の天体にも界層がある

(P221/後ろから4〜後ろから1)

・霊界では霊格の向上に伴い高い界層へ移動することになる

・各界層間に境界線はない

・界層は低い次元から高い次元へとつながり、上下が融合している

 霊界は、波動の違いによって無数の界層が重なり合い、1つの場に存在する。無限の異なる次元が重複してひとつの大宇宙が形成されていて、それぞれの波長に合った人々が生活している。

 霊性の向上に伴い高い界層に移動するが、その際は霊体のバイブレーションが精妙になり、グラデーション的に次の界層へと自然に移行する。


(参考リンク)

スピリチュアリズムとは> スピリチュアリズムの思想[T]> 6.霊界の様子・霊界での歩み> (1)霊界は界層からなる世界

<スピリチュアリズム普及会公式サイトへ>

 
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